2020年11月19日木曜日

力を入れるべきは人差し指側か小指側か

 ◯はじめに

先日ツイッターでこんなアンケートをとってみました。

人差し指側と小指側どちらに力を入れるか。


そもそも全体がかなり少ない票数なので、

どちらが多いかというのは特に大きな意味はありません。

ただ「意見が分かれている」ということが重要です。

これは単に好みの問題でも、どの指が強いかの問題でもなく、

もっと大きく身体全体の動かし方に関わってくるものです。

その違いを自分なりに分析し、まとめてみたいと思います。


◯ぶら下がり姿勢の違い

ホールドを持つとき、どちら側に強く力を込めるかで姿勢に違いが表れる。


◯懸垂するとどうなるか


(※違いを顕著にするためにかなり大げさに力の偏りを作って保持しています。)


◯何故このような現象が起きるのか?

人差し指側に力を込める場合、腕は内旋(内側に旋回)しようとする。

小指側に力を込める場合、腕は外旋(外側に旋回)しようとする。

この腕の内旋・外旋の動きが肩の動きに連動し、肩の動きは背中や胸、首の動きに連動する。


◯「腋を締める」というワードについて

スポーツの場でよく言われる「腋を締めろ!」

それを、腋の下に空間が空かないように二の腕をぴったり体にくっつけることだと誤解している人は多い。

しかしそれは「腋を閉じる」という動きであり、腋が締まるとはまた別の運動だ。

「腋を締める」は「腋を閉じる」ではない。

「腋を締める」というのは、ざっくり言うと肩関節を外旋させる動きであると言っていい。

肩関節がしっかり外旋できていれば腋は閉じていなくてもいい。


「腋を締める」のイメージを掴むために一番簡単だと思う運動をしてみると。


こんな感じ。

かなり乱暴に言えば「腕を外旋させれば腋は締まる」と言っていい。


ホールドを持つときに当てはめると

小指に力を込める→腕が外旋しようとする→肩が外旋しようとする→腋が締まる

人差し指に力を込める→腕が内旋しようとする→肩が内旋しようとする→腋が開く

ということになる。


◯腋を締めるとどうなるか

先述した腋を締める運動をしてもらった状態(掌を前方へ向けて腕を下にたらした状態)で

上体を左右に動かしてみて欲しい。

特に意識をしなければ腕は体の動きとほとんど同調して動くはずだ。


逆に、そのまま手をひっくり返して手の甲を前に向けた(=腋が締まっていない)状態で同じことをすると、身体と腕は比較的バラバラに動くはずだ。

つまり、腋を締めることで得られる効果は「腕と体幹部の連動性が高まること」にある。

腕の独立した自由度を奪うことと言ってもいい。

腕の独立した自由度を奪うからこそ腕の「余計な動き」を抑制して肘や肩などを痛める要因を排除しやすいという見方も出来る。


◯小指に力を入れるのが正しい?

小指に力を込める=腋を締める→腕と体幹部の連動性が高まる。

ということをここまで書いたので、

じゃあ結論として

「小指に力を入れるのが正しいです」

と言いたくなるが、一概にそうも言えないのが難しいところでもある。

先述したとおり、腋を締める事は腕の独立した自由度を奪うことにも繋がる。

それはやはりデメリットとしても機能する。


◯遠い距離まで届くのはどちらか

これは実際に壁でやってみると分かるが

ギリギリ手が届くくらいのホールドに向かって

①腕を内旋させながら人差し指で触れに行く

のと

②腕を外旋させながら小指で触れに行く

のではあきらかに①のほうが距離を出しやすい。


◯壁との距離の違い

懸垂した時の姿勢を改めて見比べてみると分かるが、

小指側の場合よりも人差し指側の場合の方が壁との距離が近くなりやすい。

よって

・壁から距離を取りたい時

・ホールドを体の前で持ちたい時

は小指側に力を込めるのが良いと考えられ、

・壁にくっつきたい時

・ホールドを体の横(あるいは後ろ)で持ちたい時

は人差し指側に力を込めると良いと考えられる。


前傾壁で比較的ポジティブなホールドを保持している場合では小指側に力を入れた方が好ましい姿勢を取りやすいだろう。

垂壁やスラブ等で、下に効かせることでしか保持しきれないホールドを扱っているような、所謂「壁に入る」姿勢を強要させられる時には人差し指側に力を込めなくてはならない状況があるはずだ。


これは完全に推測でしかないが、

前傾壁では無類の強さを発揮するが垂壁スラブは苦手という人はナチュラルに小指側に力を込めて登っている傾向にあり、

逆に垂壁スラブでは全然落ちないが前傾壁で前後の動きを作るのが苦手という人はナチュラルに人差し指側に力を込めて登っている傾向にあるのではないだろうか?


◯違いのまとめ

人差し指側に絞る(内旋)

・壁にくっつきやすい

・腕力や肩の力で引くイメージ

・遠くまで手が届きやすい

主に垂壁・スラブ等で壁に貼りつく場面や、凹凸のある壁やハリボテ・ボリュームの下に入り込むような動きの際に有効?


小指側に絞る(外旋)

・壁から距離を取りやすい

・体幹の力で引くイメージ

・安定感が出る

主に前傾壁等で壁から距離を取って構える際や、強くホールドを引き込む動きの際に有効?


これらの違いを踏まえ、状況や自分の体質や体格、筋肉のつき方等に応じて使い分けることが出来ればクライミングの幅は広がるだろう。

例えば、ギリギリの遠い距離をデッドで出す一手のような状況で、

小指側に力を込め腋を締めた状態で構え、体幹の力を使って強く引き、狙う腕は内旋しながら次のホールドに向かい、ホールド捉える際に人差し指側に力を込めてホールドの下に入って止める。

といった、短い瞬間の中での使い分けの仕方も考えられる。

上腕の力や肩周りの筋肉が強固な人は基本的に人差し指側に力を込め続けるのがしっくりくるかもしれないし、腕よりも体幹の力がしっかりしている人は小指側に絞って体幹の力を動員するように登るのがいいかもしれない。


◯おわりに(個人的な嗜好)

ここまでそれぞれの違いを比べながら

「どっちも違ってどっちもいい」

というような書き方をしてきましたが、

筆者の個人的な嗜好としてはやはり

「小指側に力を込める」

のを基本としたほうが良いと思っています。

一番大きい理由としては、こちらのほうが怪我をしにくいんじゃないかということです。

僕は10年以上クライミングをしていますが、肩や肘周りに大きな故障を抱えたことがありません。

それに(はじめは無意識のうちに、のちに意識的に)小指側に力を込めることを基本として登ってきたからというのは大いに関係していると思っています。

また、相当な腕や肩の強さを持っていない限り、体幹を動員して動いた方が登りは簡単になるだろうし、

基本的には壁から離れた位置で構えて、前後の動きを意識してムーブを作った方が登りが簡単になるだろうと考えているからです。

壁に貼りついた状態を自分のベースの構えとして持つのは、視野も狭くなるし大きな動きを安定して生じさせづらいとも思っています。


ただ、人差し指側に力を込める事を基本として登っていて、故障も無く成果を上げ続けている方も多いかと思います。

そういった方に人差し指主体での登り方のコツのようなものを教わってみたいという気持ちもあります。

「みんな違ってみんな良い」でもなく「アレは間違いでコレが正しい」でもなく

それぞれの手法の特徴を細分化して分析して議論して好みも交えて細かく取捨選択していくことが、自分のクライミングを進歩させていくんだと思います。

2020年7月2日木曜日

子どもに登らせることについて

最近、自分の中で低学年の小学生や未就学児にボルダリングを教える機会が多くなってきた。

これは大人にボルダリングを教えることに比べて本当にリスクの大きいことだというのは最初から知ってはいたが、じゃあ具体的にどうリスクがあるのかというのはよくわかっていない部分も多かった。

子どもはジムという環境やボルダリングというスポーツの危険性を正しく理解していない(できない)とか、思考・メンタル面のリスクは誰でもまず気づくことではあると思うが、多く子どもに接しているうちに子どもの身体的特徴によるリスクがより強く浮彫になってきたのでそれを少しまとめてみたいと思う。

まず一言で言うと
「子どもの身体は大人の身体のミニチュアではない」
ということだ。

子どもの身体は、大人に比べて単純に小さいというだけではなく、両者の間には様々な差異がある。それを以下に記していく。

①重心の違い

子どもは大人よりも身長に対しての頭が大きいため、重心位置が上にある。




②柔軟性の違い

子どもは大人よりも柔軟性が高い。
柔軟性が高いと言うと単にメリットに聞こえるが、関節や筋肉が「ゆるい」ということでもあり、リスクにもつながる。

③脚力の違い(腕力:脚力 比)

腕力と比べた時、子どもは大人よりも脚力が弱い。
例えば、片足ケンケン状態で30cmほどの高さの障害物を跳び越えられない大人はほぼ居ないが、5歳前後の子どもは15cmほどの高さの障害物でも片足では跳び越えられないケースが多かった。
かわりに、メトリウスの3XLサイズのキャンパスラングに両手でどれだけの時間ぶら下がっていられるかといったテストでは大人と子どもでは記録に遜色がなかった(むしろ子どものほうが好記録が多い)。
「パワーウェイトレシオ」という観点で言えば子どもは大人ほどはっきりと「脚力>腕力」の図式がはっきり当てはまらない

④肌質の違い

ほぼ例外なく子どもの手はしっとりしている。乾燥することはあまりなく、皮膚も薄く柔らかい。緊張等による手汗の過剰分泌も起こりづらい。



ボルダリングを教える上で特に強く留意したいのは上記の4つだと思う。

その上で、それがどうボルダリングに関係してくるのかというと

・クライムダウンの重要性

①~③の理由で、子どもは大人に比べて(柔らかいマットに「きちんとした姿勢」で落ちるとしても)落下ダメージが大きい。特に、関節や筋肉・骨以外にも、脳が揺さぶられるダメージが大人と比べて顕著に違うと言える。
子どもに登らせる課題は、より低い位置にゴールと設定し、その上でクライムダウンルートも確保してあるべきだというのは誰でも知っているが、その重要度をより深く理解すべきだ。
「マットがきちんとしていて、正しい着地姿勢をとれば安全」は骨格のしっかりした大人にのみ当てはまる理屈であり、子どもの場合完璧な着地であっても常に脳へのダメージは蓄積する。大人は落下時の怪我のリスクを捻挫や骨折といった外傷にピントを当てているからそのことに気づきづらい。

・選択するムーブの違い

これも①~③の理由による。
「大人だったらこれが正しい」という動きが子どもの身体では間違っていることや
「大人だったらこれは間違い」が子どもの身体なら適切ということがある。
指導者は大人のクライミングフォームを子どもに押し付けないよう注意すべきだし、大人と子ども両方にとって正しいことでも、納得の度合いに違いが出ることを留意しておくべき。
例えば「腕力よりも足を使え!」というのは③の理由で大人に比べて子どもには納得しづらい。重心の違いから、適正な足位置も変わる。
単純に大人のクライマーの小サイズ版という認識でムーブ指導をすると、子どもの身体にとってはかえって登りづらいムーブになっているということがままある。

・チョーク使用の有無

④の理由から、多くの場合子どもはチョークを使用しなくてもいいのではないかと考えている。
実際に子どもたちから「チョークをつけるとかえってサラサラしてすべりやすい」という声をよく聞く。
クライミングをする時はチョークを付けるものだという先入観で、子どもにも同じ行動を押し付けるべきではない。勿論、チョークをつけるのが悪いということではなく、本人が必要だと感じたなら使わせてあげるべきだ。

・・・

クライムダウンの重要性は今更だし、チョークはつけたところで害があるわけでもないので、特に留意すべき点は「選択するムーブの違い」だろう。
これは本当に相当気を付けていないと、教える側はつい大人にあてはまるロジックで教えてしまう。
技術的な指導をする時は、それが
「大人には適正だが子どもには適正ではない方法」なのか
「大人には適正ではないが子どもには適正な方法」なのか
「大人にも子供にも適正な方法」なのか
それをよく考える必要がある。


2020年6月8日月曜日

Bouldering is not about Olympics!!

・「競技」と「スポーツ」

「sport」という単語を日本語に訳す際、様々な説がある。
その定義の仕方について議論しようとするとそれだけでものすごい時間と熱量が必要になるので、ここではそれは行わない。
今回は「スポーツ」というカタカナ語をざっくりと「身体運動の総称」と定義する。
もっと詳しく言うと「日常生活を送る上ではまずかからないであろう負荷を身体にかける身体運動の総称」である。
(あくまでも今回この記事の内容の中ではそう定義するというだけです)
そして「競技」という単語の意味としては「他者と技を競い優劣を争う行為」と定義し、y訳にはsportではなくcompetitionを用いるということにする。
そう定義した上で、これから「ボルダリング」と「ボルダリング競技」というものについて思うところを書いていく。

・競技ではないスポーツ、スポーツではない競技

先の定義をもう少し補強する意味で、いくつかの例を挙げる。
まず「競技ではないスポーツ」とは何か?
例えば「ジョギング」「ウエイトトレーニング」広く言えば「ラジオ体操」なども「日常生活を送る上ではまずかからないであろう負荷を身体にかける身体運動」にあたるので「スポーツ」と言えるが、
「他者と技を競い優劣を争う行為」にあたらないので「競技」とは言えない。
こういったスポーツのことをここでは「非競技スポーツ」と呼ぶ事にする。
逆に、スポーツではない競技とは何か?
例えば「囲碁」「将棋」「チェス」「ビデオゲーム」などは「他者と技を競い優劣を争う行為」にあたるため「競技」であると言えるが、「日常生活を送る上ではまずかからないであろう負荷を身体にかける身体運動」を伴わないため「スポーツ」であるとは言えない。
こういった競技のことをここでは「非スポーツ競技」と呼ぶ。
(ここらへん大いに突っ込みが入ると思うけど、前述したように『今回はそう定義する』ということで納得して下さい。「eスポーツ」とか「マインドスポーツ」とかいった言葉があることも重々承知しています)



・非競技スポーツの競技化

先の例で「ジョギング」「ウエイトトレーニング」「ラジオ体操」を「非競技スポーツ」と呼んだが、ではこれらの例が全面的に競技としての性質を持ちえないかと言えばそうではない。
例えばジョギングを二人以上で行い、「どちらが長く走っていられるか」「どちらが早く目標距離に到達するか」などを競い出せばたちまちそれは競技と化す。
もともと競技として発生したのではないスポーツも、一定のルールを定めて競い合う他者を用意すれば競技化することができるのである。
これをここでは「非競技スポーツの競技化」と呼ぶ。

・競技スポーツ内の非競技的側面

例えば「サッカー」だったり「野球」だったりは、そもそもの成り立ちからして基本的に「競技スポーツ」である。
しかし「フリースタイルリフティング」としてひたすら芸術的にリフティングするといった行為は「非競技スポーツ」と言えるし、河原でキャッチボールをすることなんかも「非競技スポーツ」と言えるだろう。
バッティングセンターでひたすら打ち込むのも「非競技スポーツ」だ。
100%競技としての側面しか持たないスポーツというのはまず存在しないと言える。
前項の通り、根本が「非競技スポーツ」として発生したスポーツであっても一定のルールを定めることによって競技化できることから
100%競技としての側面を持ちえないスポーツというのもまた存在しない
サッカー・野球あたりは競技としての側面が大きいが、ボルダリングはそれらと比べて競技としての側面は小さいとも言える。

・ボルダリングとはどんなスポーツか

まず「ロッククライミング」というのは本来「登山」の際難所を攻略するためのためのいち手段であった。
「登山」そのものが今回の定義によれば「スポーツ」と言えるので、「ロッククライミング」もまた「スポーツ」であると言える。
登山の手段として始まったロッククライミングに、様々なルールや縛りを加えることでフリークライミングというジャンルが生まれ、そのさらに一部として「ボルダリング」がある。
「ボルダリング」がひとつのジャンルとして確立されたとき、その時点では「ボルダリング」は「非競技スポーツ」であった。
「ボルダリング」はその成り立ちとしては低い岩で行なう練習行為という側面が強く、
しかしそこから低い岩で行うからこそより難しい技術や強い能力を試しやすいことから、一つのジャンルとして立場を強固にしていった。

・ボルダリングとボルダリングコンペ

普通「野球しようぜ!」と言う時、それは「試合形式で競技としての野球をしよう」という意味になる。
いちいち「野球競技しようぜ」とは言わない。それは野球というスポーツを指すとき、人は野球の競技的側面を即座にイメージするからだ。
しかし「ボルダリングしようぜ!」と言う時「試合形式で競技としてのボルダリングをしよう」という意味にはそうそうならない。
試合形式でボルダリングをしたかったら「ボルダリングコンペをしよう」とか「ボルダリングコンペに出よう」と言うのがより自然だ(この際むしろ「ボルダリング」を省いて「コンペに出よう」と言うほうがさらにより自然)。
このことからも、ボルダリングというスポーツが本来「非競技スポーツ」であることは明確である。
ボルダリングというジャンルにおいて「競技(competition)」を行うというのは、特殊な状況であると言える。

・競技スポーツが目指すものと非競技スポーツが目指すもの

競技スポーツが目指すものとは何か?という問いの答えはシンプルに「勝利」である。
「勝利」というモチベーションがあるからこそ人は汗や泥にまみれ、筋肉を痙攣させ、歯を食いしばり顔をゆがませながらもその競技に打ち込むことができる。
そしてその「勝利」を通じて人生の糧や栄誉や自己満足を得る。
では非競技スポーツが目指すものとは何か?
それは「達成」である。「達成」を通じて人生の糧や栄誉や自己満足を得ている。
何かを「達成」することが「勝利」と同等かそれ以上のモチベーションになっている時、人は競技スポーツと同じように非競技スポーツに打ち込むことができる
しかし非競技スポーツにおける「達成」が、苦痛を堪え競技に打ち込むことができる程のモチベーションとなることは稀だ。
故に「勝利」以外がそのモチベーションの強さを実現し得ないと信じる人も多く、そういった人は「競技にあらずんばスポーツにあらず」とみなし「非競技スポーツ」をすべて「遊び」というくくりの中に放り込んでしまう。

・「達成」の魅力

ボルダリングは非常に「達成」が解りやすいスポーツだ。
「目の前の岩を登りきる」
「目の前の課題を登りきる」
その目標を達成することだけをモチベーションにして努力することができる。
故にその達成は純粋で、簡潔で、色あせない。
短期的な目標と短期的な達成がある(今日3級課題を登りたい→登れた!)
中期的な目標と中期的な達成がある(今シーズンは忍者返しを登りたい→登れた!)
長期的な目標と長期的な達成がある(いつか三段を登れるようになりたい→登れた!)
様々な目標と達成が「完登」というシンプルでハッキリとした形で現れる。
達成というモチベーションの結晶が目に見える形で断続的に手に入ってくる。
そこがボルダリングというスポーツが持つ大きな魅力のうちの一つだ。
他の非競技スポーツはボルダリングに比べ「達成」が解りにくくまた途切れやすいものが多い。
例えばジョギングにおける達成とは?
10km走りきる。3kg痩せる。そういった達成は確かに得られるがそれは断続的にステップアップしていきにくい。
走ることでより深いモチベーションを継続的に得ようとしたらやはりタイムを計測したり他者と一緒に走ったりして「競技化」していくしかなくなってくる。
ボルダリング歴がある程度長い人で、ボルダリングをしていない人から「大会(試合)とか目指してるんですか?」と聞かれていない人は居ないだろう。
そして「大会出場や勝利を目的としているわけではない」と答えて、質問者の首を傾げさせることになる。
「じゃあ何のためにそんな怪我したりキツイことやったり恐いことやったりしてるんですか?」と。
スポーツというのは基本的に肉体に負荷をかけるものである以上、必ずストレスが生じる。
そのストレスを上回るモチベーションが無ければ人はスポーツを続けられない。
「勝利」がそのモチベーション足り得るというのは多くの人に理解してもらえるが。
「達成」がそのモチベーション足り得るというのは多くの人とって想像しづらいことなのだろう。
故に、多くの人にそのスポーツの魅力を理解してもらい、多くの人にそのスポーツに打ち込むためのモチベーションを提供するために「非競技スポーツの競技化」は必然的に行なわれていく。
しかし我々クライマーは知っている。
「勝利」など無くても「達成」だけですべてが報われる感覚を。

・非競技スポーツの競技化によるメリットデメリット

前項に書いた通り、非競技スポーツの競技化による最大のメリットはそのスポーツの普及に役立つということだ。
普及されなければそのスポーツは発展せず、廃れていき、やがて文化も薄れていく。
それを防ぐためにはやはり競技化によって普及を加速させるというのは必然的な考え方だ。
ではデメリットは何か?
それは各スポーツによってそれぞれ様々なものがあるかと思うが、ざっくり共通して言えるのは「当初の理念の喪失(のリスク)」だ。
「競技」という側面は非常に煌びやかで解りやすく、人の心に訴えかけてくる力が強い。
そうなるとそのスポーツの中の「非競技」の部分が重要ではない部分であるとみなされてしまうという危険性がある
例えばフィギュアスケートが芸術性と競技性の狭間で様々な熱い議論が交わされていることはある程度スポーツに興味がある人なら知っているだろう。
フィギュアスケートも元はと言えば非競技スポーツであり、それをなんとか競技として成立するようルールを整備したはずだが、そのルールがそもそも適切なのかどうなのか?というような議論は未だに根強く残っている。
それにも関わらず「オリンピック金メダリストこそがあらゆる意味で世界で最も優れたフィギュアスケーターである」と多くの人は殆ど疑いの余地なく信じてしまう。

・オリンピック種目にスポーツクライミングが入ることの不満(あるいは不安)

前項までを読んで貰えば伝わると思うが、筆者はオリンピック種目にスポーツクライミングが入ることについて比較的否定的なマインドを持っている。
それは自分がボルダリングを純粋に「達成」をモチベーションとして打ち込んできたからだし「勝利」無しに「達成」のみでモチベーションを保ち得るこのスポーツに大きな魅力を感じているからだ。
ボルダリングが「勝利」がなくてはモチベーションを保てない程度の魅力しかないスポーツだと思って欲しくないのだ。
「オリンピック」というものの力はたぶん多くのクライマーが思っているよりずっと強い。
「オリンピック金メダリスト」の肩書の輝きは計り知れない。
次のオリンピックを経た後では、多くの人は
「オリンピック金メダリストこそがあらゆる意味で世界で最も優れたロッククライマーである」と信じてしまうだろうし
「ボルダリングの最終目標はオリンピックで金メダルを獲る事」と信じてしまうだろう。
しかしそもそも、ロッククライミング、ひいてはスポーツクライミングは「非競技スポーツ」であり「クライミングコンペ」というのはクライミングを競技として成立させるために後付けでルールを付け足していったことで成立させたものだ。
そこがもともと「競技」としてスタートしたスポーツとは違う。
なのでコンペルールは未だにクライミングの登攀能力を公平に競うルールとして完璧なものなのか?という疑問は残り続けているし、もっと言えばオリンピックの「コンバインド」という競技方式に心の底から納得しているクライマーなどほぼ居ないだろう。
少なくともロッククライミングという分野の全体から見れば「コンバインドルールのコンペ」というのはとても限定的で小さな一部分だ。
その「限定的な競技方式」によって決められた勝者が「クライミング界全体の王様」だと思われるのが気に食わねえ!ってことだ。



勿論この「コンバインドルール」というのが、その勝者が少なくともスポーツクライミング界の勝者にふさわしくなるように苦心して作られた競技方式であるというのも重々承知している。オリンピック金メダリストが、ニアリーイコールでスポーツクライミング界の王者であるというくらいまでなら100歩譲って納得できなくもない。

・まとめ(個人的感情の吐露)

僕はボルダリングが大好きだ。
ただし僕が好きなのはボルダリングの非競技的部分だ。
コンペが嫌いだ!コンペなどボルダリングの本質ではない!と言いたいわけではない。
でもやはり個人的にはコンペ自体そんなに好きでもない。
例えば高校の部活でボルダリング部に所属して、3年生の最後のインターハイで全国大会で優勝することをこのスポーツの最終目標に設定されていたとしたら僕はボルダリングをこんなに好きにはならなかっただろうと思う(他の競技と同じくらい、妥当な燃え方をして妥当な燃え尽き方をして、そして引退しただろう)。
子どもの頃、遊びだったり競技の真似事だったりゲームだったりをして、失敗したり負けたりするたびに「もう一回!」「もう一回!」と喚き、自分が勝つまで続けようとする鬱陶しいガキがあなたの周りにも一人はいたと思う(そして勝ったら勝ったで、面白いもんだから「もう一回!」だ)。
僕はそんなガキだった。そして本質的には今でもそんなガキだ。
「ちゃんとした競技」ではその「もう一回!」ができない。許されない。
でも非競技的ボルダリングではその「もう一回!」ができる。
むしろ「もう一回!」をいくつもいくつも積み重ねることでこそ達成に向かう。
僕がボルダリングにのめりこんだ本質的な理由っていうのはそこにあるんだと思う。
だから競技としてのボルダリングに導入された「アテンプト」という概念が僕は全く好きじゃない。
手も足も出ない課題に100回も200回もトライしたい。
スタートも切れないし一個もムーブバラせない課題に年単位で打ち込みたい。
一日中ワンムーブの探りに費やしたい。
尽くことのないトライアンドエラー。
その先にある達成。
「勝利」の反対には「敗北」が用意されている。
でも「達成」の反対には何があるだろう?
意思さえくじけることなく挑戦し続けさえすれば、何度失敗してもそれは達成への道のりでしかない。
そういったことを実感させてくれるから、僕はボルダリングが好きなのだ。
その、ボルダリングの僕が好きな部分が、オリンピックという大きな輝きによって、多くの人の目から映らなくなってしまうんじゃないかということが僕は不安(あるいは不満)なのだと思う。

2020年4月3日金曜日

スポルティバ新作「セオリー(THEORY)」レビュー

はじめに


「一目ぼれは遺伝子の合図」
と言ったのは誰だったか。

コイツにはまさに一目ぼれだった。
LA SPORTIVA THEORY


昨年ネットの海のどこかでその姿を見た瞬間に入手を決意した。

4月下旬の日本での正式リリースを待つこともできず、
某個人輸入クライミングシューズ販売サイトでポチっと購入。

そして実際に1週間ほど使用して感触を確かめてみたので、
ここでいったんレビューを綴ってみようかと思う。

比較による形状検証

まずは主観を交えない客観的な部分から紹介しようと思う。
ちょうど手元に
フューチュラ(サイズ35.5)

スクワマウーマン(サイズ36.5)
があったので、購入した
セオリー(サイズ36)
と並べて比較してみた。

ヒール

画像内の赤線はどちらも同じ長さ。

スクワマに比べて横幅が明らかに狭く、縦幅は若干高い。

履いた感触、というところで言うと
見た目ほど幅の細さは感じず、見た目よりも縦の深さを感じる。


トウ側の幅

画像内の赤線はどちらも同じ長さ。

幅の広さはスクワマ>フューチュラ≧セオリーといったところ

スクワマとセオリーは明確にラストから違いそうではあるが、
フューチュラとセオリーの差は履きこんでいるかどうかの違いと思えなくもない。

ソールの構造やラストはフューチュラに類似していると言っていい。


甲の高さ

画像内の赤線・緑線はどちらも同じ長さ。

まず、いわゆる「甲」の部分の高さは
セオリー≧フューチュラ>>スクワマ
明らかにスクワマが薄く、フューチュラとセオリーはややセオリーが高い程度
(ただしフューチュラは履きこんでいるのを考慮するとやはりセオリーが高いか)

そしていわゆる「トウボックス」の高さは
セオリー>フューチュラ>スクワマ
ここには明確にフューチュラとセオリーに差が出ている。


まとめると
セオリーの形状は
「大体フューチュラをベースとしており、トウボックスが厚くヒールが深く細い」
「スクワマと比べると足幅が細く甲が厚い」
ということになる。

フューチュラが非常に足に合っている筆者にとってはかなり感触が良い。


主観的な使用感

ここからは主観も交えた使用感を記す。

まず踏み感ということで言うと


上の画像の赤いエリアが
「強くエッジングできるポイント」(筆者はシューズのスイートスポットと呼んでいる)
黄色いエリアが、スイートスポットほどではないがホールドを捉えることがそれなりにできるポイント。
不思議なことにフューチュラはこの範囲がかなり広い。
緑のエリア(母指球のあたり)もスクワマとフューチュラは固くなっている。

セオリーの特徴は全体がほかの2足よりも明確に柔らかいということ。

セオリーにはP3以外のシャンクが排除されているため、
P3の入っている先端部分以外はかなり柔らかい。

しかし先端部分だけはしっかりと芯があって強いエッジングも可能としている。
スイートスポットの固さにだけに関してはほか2足とほぼ同等の固さを持っている


スイートスポットで捉えた場合
これくらい(厚みは大体9ミリ程度)のジブスに乗る程度であれば
垂壁で片足に全体重をかけてもしっかり踏める固さはある。

およそクライミングジム内に取り付けられている程度の大きさのホールドであれば
しっかりと体重をかけても負けないだろう。
この辺りが、チームvxiやレオパード、フューリアエアーなどの極端なソフトシューズとの違いになる。


そしてヒールについて

セオリーのヒールはスクワマとは全く感触が異なり、どちらかというとスカルパのインスティンクトVSのような感覚に近い。


黄色いバンド部分がサイドの黒い部分よりも固くなっている。
それによって強度のギャップが発生し、引っ掛かる感じがある。
カラーのゴムということでフリクションに若干の不安はあったがそこは全く問題が無かった。

そしてスクワマより若干深いので脱げそうになる感覚も薄い。

スクワマのSヒールは全体がなめらかな球状に近くなっていて、
どんなかけ方でもできる自由度がある反面、自分でコントロールし続けなければすぱっと抜けてしまうような感覚もある。

「ヒールの足裏感覚」という点ではフューチュラやスクワマにやや劣るが、ヒールの全体的な評価として個人的には他2足に勝る。


スポルティバハイエンドモデル性能別ランキング

ここからはセオリーと性能を比較されるべきスポルティバの他ハイエンドモデル、
ソリューションリブート
スクワマ(スクワマウーマン)
フューチュラ
の性能について個人的にランク付けしてみようと思う。
(スクワマとスクワマウーマンはどちらも履いてみたが両者に殆ど違いを感じないので同一扱いとする)
(ソリューションコンプは持っていないので割愛)

まずはシューズの性能を語る上で筆者が考える項目をいくつかに分類してみる。

足入れ
 快適に履いていられるか
足裏感覚
 ホールドを足裏で鋭敏に感じ取れるかどうか
トウフック性能
 トウフックがよくかかるか
ヒールフック性能
 ヒールフックがよくかかるか
スメアリング
 ハリボテ、ボリュームを捉える力の他に、外傾した薄いホールドに対しても適用
エッジング(柔)
 体重が浮いた状態で小さなホールドを捉えられるか
 強傾斜の足残りや、遠いホールドを掻き込む能力等
エッジング(剛)
 1点に体重を強く乗せた時に負けずに乗り続けることができるか
 踏み込んだ反発をしっかり得られるかどうか

個人的には、上に行くほど重要度が低く、下に行くほど重要度が高いと思っている。

それらを項目別に個人的ランクを付けると下記のようになる。

足入れ
1位 セオリー
2位 フューチュラ
3位 スクワマ
4位 ソリューション
セオリーが最も甲が高く設計されているため甲高の筆者としてはこうなる。
アッパー素材も柔らかく、トウラバーの面積の広さを感じさせない快適さ。
フューチュラもかなり馴染みが良く甲乙つけがたい。
スクワマは幅は広いが甲が薄め。
ソリューションは靴としての「型」がかなりしっかりとしているため、その型にピッタリ合う人以外は不快さを感じやすい。
足の甲が厚いか薄いかで、セオリーとスクワマの評価は逆転しそう。

足裏感覚
1位 フューチュラ
2位 セオリー
3位 スクワマ
4位 ソリューション
これはノーエッジに優るものは無い。
僅差でセオリーが時点。
スクワマも悪くない。
上位3足にそこまで大きな優劣は無い。もはや好みの問題と言ってもよさそう。
この項目ではソリューションだけが唯一明確に最下位。

トウフック性能
1位 セオリー
2位 スクワマ
3位 ソリューション
4位 フューチュラ
スクワマも登場時かなり革新的だと思ったが、セオリーのトウラバーの貼り方はもはや革命的。
シャンクレスのソールによって背屈方向に足底を反らせやすいのも掛けやすさに一役買っている。
ソリューションは形状によってやけに引っかかってくれるポイントがある。
フューチュラはいささかトウラバーの面積に乏しい。悪くは無いが上位と比べるとやや落ちる。

ヒールフック性能
1位 セオリー
2位 フューチュラ
3位 スクワマ
4位 ソリューション
スクワマ・フューチュラのヒールは良くも悪くも「まるで自分の踵を直接ホールドにかけているかのよう」な感触。
スクワマは特に。
ソリューションは逆に「靴をハメにいく」ような感触。
セオリーのヒールはスカルパのインスティンクトVSの感触に近い。
ヒールフックと言えば不動の4番バッターミウラーが居るが、
この4足の中で一番「ミウラーっぽい」のはセオリーかもしれない。

スメアリング
1位 フューチュラ
2位 セオリー
3位 スクワマ
4位 ソリューション
これについてもやはりノーエッジの強み。
しかし足裏をべたっと広く使う状況に限って言えば、P3以外のシャンクを排除したセオリーに軍配が上がることもあるか。
スクワマもいいが、上位2足が良すぎる。
この項目でもソリューションが明確に最下位。

エッジング(柔)
1位 ソリューション 
2位 セオリー
3位 スクワマ
4位 フューチュラ
これはソリューションが強い。
「抜けた」と思っても残るようなつま先の作りは唯一無二。
あとの3足はどっこいどっこいと言ってもいいが、敢えて差をつけるとしたらノーエッジはこの項目ではやや弱いか。

エッジング(剛)
1位 フューチュラ
2位 スクワマ
3位 セオリー
4位 ソリューション
フューチュラの最大の強みは「足裏感覚に優れながらも強く踏み込める」こと。
多くの場合この項目と「足裏感覚」はトレードオフの関係性にあるが、これを高いレベルで両立しているからこそ「なんでも踏める」と思える。
スクワマもその点でかなり優秀。
セオリーは上2足と比べればほんの少し落ちる。
ソリューションはつま先とホールドの距離が大きいため、厚みのあるホールドに対して強いがホールドが10mm未満くらいになるとゴムだけで乗っているような感触になり思うように体重が乗せ辛い。


1位4点 2位3点 3位2点 4位1点として点数をつけると

セオリー 23点
フューチュラ 20点
スクワマ 16点
ソリューション 11点

といったところ。
あくまでも個人の使用感である故に、実際の性能差がこうであるとは限らないということを注記したい。

それにあくまでもランキングをもとに数値をつけたらこうなるというだけであって、
例えば全項目を100点満点評価して、その合計点を出すという形式ではまた総合順位が変わるかもしれないし、項目わけに際してはじめに書いている通り、この項目はそれぞれ重要度が同じではない

例えば超強傾斜でフルリーチなのに足が絶対に切れてはいけない核心のある課題を登る時だったらセオリーよりもソリューションを使いたいし、きわどいエッジングのみで登っていく課題を登るんだったらセオリーはむしろ下位に落ちる。

総括

まず言えるのは
フューチュラをメインシューズにしているクライマーはセオリーを気に入るだろう、ということ。

ポジションとしてはジムでの本気シューズかコンペシューズ。
他のどんな靴にも負けないオンリーワンの長所がある!という感じではないが、
どんな要素があるか分からない初見の課題をオンサイトしろと言われたらこの靴を持って行きたくなる。
クライミングジムという環境では出来ないことや踏めないホールドはまず見つからないだろうと思う。
スクワマの時点でかなり隙が無いオールラウンダーだったが、スクワマとは若干違うアプローチでオールラウンド性を実現している感じだ。

ただし岩で使うとなるともっと一芸に特化したシューズを選択して使うことになると思われるので「これ1足であらゆる課題が登れる」とまでは言い難いが。

「スクワマとセオリーのどちらを使うか?」
という選択にこれから多くのクライマーが頭を悩ませることになると思われるが、
足型的に
甲が高いならセオリー
甲が低いならスクワマ
という風に選べばいいだろうと思う。

「セオリーとフューチュラのどちらを使うか?」
という選択は非常に難しい。
これはもう少し理解を深めてからでないと自分の中で結論が出そうにない。