2014年5月9日金曜日

理屈屋

今回は長文です。
そして僕に起こった出来事について書くいわゆる「日記」的なものではありません。

僕が普段考えていることの一部を文章にまとめたものです。

暇で暇でしょうがない人は読んでください。


じゃ始めます。



クライミングに限らずスポーツ全般に、スポーツに限らず何か目標を達成する際に、「自信を持つ」ということはかなり重要な意味を持つ。

今回はその「自信」について考える。


・「自己肯定感」と「自己効力感」

一概に「自信」と言ったが、「自信」を大ざっぱに二種類に分類すると「自己肯定感」「自己効力感」がある。

「自己肯定感」というのは文字通り、自分を肯定する感覚である。

「自分は優しい人間だ」とか「自分は善い人間だ」とか「自分ってカッコいい」とか、そういう自分という人間に価値を感じているかどうか、という文脈の中での「自信」が「自己肯定感」。

「自己肯定感」が高い人間は主観的幸福度が高く、低い人間は主観的幸福度が低いと言われている。

例えば、電車で老人や病人らに席を譲ったり、募金をしたり、ボランティア活動をしたり、そういった行為をしたときに「自分っていい人間だな」と少しくらいは思うはずだ。それは「自己肯定感」を高めていると言っていい。(または逆に「ワル」っぽいものに憧れているような人はタバコを吸ったりケンカしたりすることで「俺ってワルだなあ」という方向で「自己肯定感」を高めたりもする)

募金したりすることを「自分にはなんの見返りもないじゃないか」と言って否定するような人も多いが、実際のところ綺麗ごとなどでなく、そういった行為を通じて「自己肯定感」を高めることが出来るのだから費用対効果は釣り合っているとも思う。

主観的幸福度を高める手っ取り早い方法の一つが自己肯定感を高めることで、自己肯定感を高める手っ取り早い方法の一つが善行(だと自分が思っていること)を積むことである、というのは確かだ。
やけに他人の世話を焼きたがる人というのはそういったことを意識的にしろ無意識的にしろ理解し、実践している人なのだと思う(それが実際他人のためになっているのかはまた別の話だが)。


次に「自己効力感」について。

より正しくは「セルフエフィカシー(self efficasy)」と言う。

これは言い換えると「自分には○○を達成できる」という感情のことだ。

スポーツなどをする際に重要になってくるのはこちらのほう。

これは「できる」と思っているかどうかが問題なので、実際にそれができるかどうかの能力とは話は別である。
勿論、自己効力感が高いほうがスポーツ時のパフォーマンスは上がる。

今回はこの「自己効力感」についてメインで語っていく。


・自己効力感はどうすれば高まるか

主な手段を効果の高い順に並べると次のようになる。
①達成体験をする
②達成した人の経験を見る・聞く
③達成した人からの助言を受ける、励まされる
④成功・達成をイメージする

②と③の間にそれほど差はないかもしれない。また、メンタルトレーニングなどで想像力を強く鍛えられている人は④でかなり強い効果を得られる。

しかしやはり一番強いのは
①の「達成体験をする」。

そんなことを言ったってその達成をするのが一番大変だ、と思われるかもしれないが、
要は何を「達成した」ことにするかの目標設定次第でそこはどうとでもなる。

教育などで人に「動機付け(モチベーション)」を与える際、達成しやすい目標を設定することが大切だと言われている。

達成できそうにない目標を掲げ続け、何も達成できていない状況で努力を続けるよりも、達成可能な小さな目標を小刻みに達成していくことで少しづつ自己効力感を高めていくことができるからだ。

しかし、その目標設定のさじ加減が難しいところで、自分が「達成できて当然だ」と思っている目標を達成できたとしてもそれは自己効力感を高めることには繋がらない。むしろ「達成できて当然だ」と思っている目標を達成できなかった時に、自己効力感が低下してしまうリスクが高い

自分で自分の目標を設定する際には、自分の現状の能力をなるべく正確に把握しているということが重要になる。
いつも自分で立てた目標が達成できないことを嘆いているような人は、目標の設定の仕方を誤っている、ひいては自己分析が正確に出来ていないということが原因だろう。

ボルダリングで言えば、最高グレード1級のクライマーが、3級の課題ばかりに取り組んでいても、有効な達成体験とはならないし、むしろ「達成できて当然」の目標なのだからリスクが高い。逆に最高グレード1級のクライマーが、1級の課題を毎日1本以上確実に登らなければいけない、というのを目標に掲げても中々達成できないばかりだ。

そして②と③について。
クライミングをやっているとよく「セッション効果」というのが起こるが、これはまさに②と③に直結している。

セッションをしていて、1人が登るとたちどころに2人3人と登り始めるということはよくある話だ。
これは勿論、複数人で一つの課題を解析しているわけだからその分効率的に課題を攻略できるという、実際的で物理的な要因もあるが、間近で誰かがムーブを成功させているのや完登しているのを見てそれが「できる」ものだというイメージをもつことができる=「自己効力感が高まる」ということも深く関わっている。
自分の能力を向上させたい、と思っている場合は、自分よりもほんの少し上のレベルの集団に混ざってセッションしてみるといいだろう。自分よりもほんの少し上のレベルの課題に対して自信をもつことができるはずだ。


・モチベーションをコントロールする

スポーツの場でも「モチベーション」という言葉はよく使われる。
そのモチベーションを発生・維持させるためにも自己効力感は重要になってくる。

モチベーションを生む要因としては
①「やらなくてはならないか」という「動機」
②「自分にはできそうか」という「期待」
③「やりがいのあることか」という「価値」
の3つがあり、その3つのどれか1つでもゼロならモチベーションは生まれないと言われている。

クライミングジム内でも
「そんな難しそうな課題やる気にならない」
という台詞を聞くことがあるが、つまりそれは自己効力感の不足故に「期待」がゼロであるためにモチベーションが発生していないということだ。

しかしそんな人でも、ものの試しに、と1度トライさせてみると意外といいところまで登れたりして(ここで「期待」が生じ)、結果その課題にしっかり取り組み始めたりもする。

自己効力感の低さはつまりイコール「期待」の値の低さということになる。
自己効力感の低い人はモチベーションが生じ辛く、結果としてチャレンジの機会を失い、本来出せる結果すら出す機会を失うことになる

モチベーションに直結する自己効力感の高め方としては先にも挙げた「目標の設定→達成」の他に「失敗の原因の解釈」などもある。

失敗の原因の解釈が的確にできていれば、成功のイメージを持つことは可能だ。

例えば課題が登れなかった時、
「俺が弱いから登れないんだ」とか「保持力が足りねーわ」とか「苦手系だからムリ」とか、そういった「分析の余地のない漠然とした一言」で片付けることは何の建設的な意味も持たない。
しかし、そこで一歩踏みとどまり、失敗の原因を正確に分析し、さらに解決の手段の解析まですることができれば、成功のための具体的な方針が見えてくる。
「○○が原因でできなかった」ということはつまり「○○さえなければできた」ということになり、それは成功のイメージを生む。成功のイメージは自己効力感を高め、自己効力感は「期待」を高め、結果モチベーションは高まる。


・自己成就予言

言葉には力が宿る、と言うと若干オカルトチックに聞こえるかもしれないが、実際にその効果はある。
「自己成就予言」といい、「自分はできる!」とか「自分はもっと成長する!」とかそういったことを口に出すことでそれに沿った行動をとるようになったりしていくというもの。プラシーボ効果に近いものがある。
逆にそういったポジティブな意味合いでなくても自己成就予言は発動し、「自分は弱い」「自分は駄目だ」「自分はここまでだ」と口に出し続けているとそれに引きずられたりもする。
プロスポーツ選手にはビッグマウスの人が沢山居るが(最近だとサッカーの本田選手なんかが代表的かな)それは単に傲慢だというよりは自己成就予言として意図的にやっているという面が大きいのではないか。

「顔面フィードバック効果」という有名な理論があり、それは顔面が動くと脳が連動して感情も動くというものだ。例えば笑顔を作るとその顔の筋肉の動きなどを脳が認識し、脳が幸せな時と同じ気分になってしまう。
自己成就予言はこの顔面フィードバック効果と似たようなものだ。
感情や気分といったものはとかく形而上的なものであると考えられがちだが、意外に物理的な効果の影響を強く受けるものでもある。

「A型の人間は自らA型の性格になっていく」という説がある。
これは「自分はA型だから几帳面なはずだ」という思い込みが、その人自身をA型の性格に矯正していくというもので、これも自己成就予言の一種だ。

とはいえ、自己成就予言はあくまで暗示のようなものだから、効果が強く出る人と出ない人が居る。
理性的、理論的に考える人ほどこういった暗示が効き辛い。「所詮暗示だろう」と頭で考えて、暗示に対して否定的な気持ちが暗示そのものを打ち消してしまいがちだ。

ざっくり言ってしまえば、自分の性格が自分の血液型の性格の類型と一致しているような人はこういった暗示が効きやすい人といえるだろうし、その逆の人は効きづらいといえよう。

それにビッグマウスを実践するというのは中々難しい面もある。
「俺は凄い」
と言っていて実際にたいしたことがないのを人に見られたら恥ずかしい(自己肯定感にマイナス)し、
「僕なんて大したことがないですよ」
と言っていて実際はデキる奴でしたっていうほうが格好いい(自己肯定感にプラス)。

つまりビッグマウスというのは「自己肯定感」のほうにリスクが高く、むしろ口では自分を悪く言っていたほうが「自己肯定感」を高めるチャンスに繋がるわけだ。

それも踏まえて、ビッグマウスを実践するということは、自己肯定感にリスクを負ってでも自己効力感を高めようとする攻めの姿勢であると考えられる。

スポーツの場でビッグマウスな選手は、「競技者」としての自分を「個人」としての自分より優先しているといえるし、謙遜ばかりする(予防線を張っているとも言える)選手は「個人」としての自分を「競技者」としての自分より優先しているといえるのではないだろうか。


・失敗の経験をもとに自信を高める

自己効力感の高め方についてここまで書いてきたが、ここまで書いてきたもののほとんどがある意味で「自分を騙す」ようないわゆる「暗示」の要素が強い。先にも書いたように、理性的、理論的に考える人、それからいわゆるストイックな「自分に厳しい人」はこういった方法をとることに抵抗があるかもしれない。

そういう人は、もっと緻密に自分を説得する方法をとれば良い。
要は分析することである。

・モチベーションをコントロールするの段で「失敗の原因の解釈」について触れたが、それを自覚的に、継続的に行うことだ。

まずは失敗したときにはその原因を探る。
その時に、できるだけ具体的に、解決可能な原因を探るのが大切。

次に成功したとき、そこで「成功したー、やったー」で済ますのではなく、失敗時の分析との「答え合わせ」をきちんと行わなければならない。
失敗時の分析が外れていたのなら、成功時に改めて失敗時と比較して原因を探る。成功時の分析をする、ということはつまり成功体験を長時間深く味わうことができるということにも繋がるし、精神的にだけでなく理論的に自分の中に成功の貯金を蓄えることができる。
失敗時の分析が合っていたのなら、自分は成功時以降正しい努力を行えたということの証明になり、自分の「分析力」「調整力」などに対する自信も向上する。

一度の失敗も無く成功した時にも、失敗したときのシミュレーションをする。
そして今回はなぜ成功したのかの分析を行う。

分析によって得られた自信は、単純な暗示によった自信よりも強く自分に定着する。
なんにせよ、苦労して得た(と自分が思っている)ものは労せずして得たものよりも強く自分の中に印象付けられるのである。

分析する、というのには様々な方法があるが、最も手っ取り早く、特別な思考法も要らないのはやはり「比較すること」だ。
ボルダリングのような、何度も同じ課題に打ち込むようなスポーツは特に比較用の材料が揃いやすい状況であると言える。ただいたずらにトライを重ねるのではなく、1回1回のトライすべてに意味を持たせ、それらすべてを比較し合って分析することが大切だ。
また、セッションによって、失敗例や成功例をセッション相手に肩代わりしてもらうというのもまた効率的だ。

失敗をただの失敗としてではなく、成功をただの成功としてでなく捉え、その二つをうまく連結させて一つの長期的な成功として扱うことが大切だということ。

漫画『バガボンド』の中で胤舜に敗れた武蔵が

「負けじゃねえ、勝ちへの途中!!」

と言う。実際これはただの負け惜しみに限りなく近いものではあったが実際に武蔵はこの後胤舜に勝利し、大きな成長を遂げている。
この台詞のような姿勢を持ち続けていることが、自己効力感を高めるためにはとても有効である。


・反復練習をする

反復練習というのはあらゆる練習の中で最も嫌われる練習のうちの一つだ。
しかしやはり反復練習というのは重要。

反復練習というのは、要は出来ることを何度もするということだから、小さな「達成体験」を積み重ねるということにもなるし、同じ動作を繰り返すわけなので失敗と成功の比較の機会も多い。
「俺は毎日100本のシュート練習をしてるんだ」ということが試合中にシュートを決めるための大切な自信となったりする。たとえその反復練習によって技術的な進歩がそれほど無かったとしても。

前段の「分析」「達成体験」の積み重ねを最も手軽に行うことができるのが反復練習であると言える。
しかしただ、何の目的意識も無く頭を空っぽにして反復練習を行っても大きな価値は得られない。
何も考えていなければ「分析」も勿論しないし、それが「達成体験」であるという意識も薄いからだ。

先にも述べたように、反復練習は最も嫌われる練習の一つだ。
だから中高の部活なんかでは、反復練習は「強制されてやるもの」だという意識を持っている選手は多い。それでは反復練習の真の価値は薄まる。

反復練習ほど、それに取り組む際の意識の違いによって効果の度合いが変わる練習もないだろう。


・まとめ

「自信」に限らず感情や理性というものは形の無いものだから、それを動かす方法はなんとなく「胡散臭さ」「曖昧さ」のある手段ばかりが思いつきがちであるが、形の無いものだからこそ、体系だてて理論的に考えることでコントロールしていくべきだと思う。

クライミングに限らずスポーツ全般に、スポーツに限らず何か目標を達成する際に、今ひとつ行き詰まりを感じている人、何となく伸び悩んでいる人は「自信」が上手く機能していないのかもしれない。
そういう人はちょっと今回の文のことを参考にしてみてほしい。






……まあ、かといって僕が自信をちゃんと持てているかっていうとそんなことも無いんですがね。

あと自分では結構自己効力感は高めに持てている気はする(意識的に高めようとしてるし)けど、自己肯定感がいつもかなり低めなんじゃないかなーっていう自覚がある。

もっとこう自分をすばらしー人間だーと思って生きていけたら良いだろーに。


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