2016年1月29日金曜日

ひつまぶし


あ、今日は岩に行った話じゃないです。


本当は岩に行く予定だったんだけど、久々の雨天中止。

まあ連日連登で指皮ズタズタだったので、治療日としようじゃないか。


しかし暇なので、暇つぶしに何か書こうかと。



YouTubeに自分の完登動画を結構上げてるんですが、その数が前回上げた動画で77本目に達したようなんですよ。

77本って結構な数ですわ。

振り返って見てみれば、まあちょっとした軌跡、ささいな歴史くらいにはなっているのかな。

面白かった課題
くだらなかった課題
難しかった課題
簡単だった課題

いろんな課題があった。


ということで、

自分が登った中で『良課題』と思った課題を、グレード別に動画と共にランキング形式で並べてみよう!

という試みをしてみようかと。



ではまず


初段部門


3位

あめご/宮川


決して難しい課題というわけではない。
しかし簡単な課題でもない。まさに初段、といった課題だった。
比較的すぐに登れたので、普通、深く印象に残るはずはないはずだが、岩の前に立ってオブザベーションをしている時に、「なんて綺麗な課題なんだ」と思ったことは覚えている。
人為的にホールドが設置されたんじゃないかと思えるくらい綺麗に、「ちょうど初段くらいにしよう」って感じのホールドが続いている。
全体的には3級くらいだけど、核心の1手だけがやけに難しいから初段になっている、とかそんな感じの課題は岩には結構多いけど、この課題はそういうんじゃなく、スタートからリップまで非常に難易度バランスがとれている。
「整然とした初段」だと感じる。



2位

モスランジ/戸河内


ランジ核心!
見た目ではそう見えるが、実際に登ってみるとその一言では片付けられない。
むしろスタートからランジの手前まで繋げるカチパートにこの課題の面白みが詰まっている。
ランジだけ止めようと思えば比較的簡単に止まるだろう。下部だけこなそうと思えばそれも出来るだろう。しかしジワジワとした下部を繋げて来た後にランジをしようとすると跳び方が変わってくる。そこが面白い。
細かなホールドを握りしめる「静」の動き、内側に絞る動きを続ける。核心で大きな「動」の動き、外側に開放する動きに繋げる。その切り替えが難しい。
見た目の派手さと、その派手さに反する繊細さも含んでいるそのギャップが面白い。



1位

夏の日/フクベ


地面からリップまでの距離は短い。
この距離にここまで内容が詰められるもんなのか。
どうやってもズルして抜けられない。
きっちり丁寧にムーブをこなさなければいけない。
保持力、足置きの丁寧さ、フック系の技量、体幹力、ランジの瞬発力。どれも必要。
上手いだけじゃ登れないし、強いだけでも登れないだろう。
低い岩で試される力と技。これぞボルダリングって感じの課題。
(厳密にはこれは「初段+」らしい。なのでこの初段部門に入れるのはズルいのかもしれないが、まあそんな細かいことはいいじゃん)





二段部門


3位

ハリガネムシ/ミタライ


正直、あまり得意なタイプではない。
体を大きく傾けてヒールトウをかまし、ピンチを思いっきり握り締め、大きく跳ぶ。
ダイナミックな課題。
見ているだけでその難しさは伝わってくる分かり易い課題だと思う。
しかしやはりホールディングの仕方次第で細かい姿勢の違いや、それによるランジの成功率に差が出てくるなど、岩ならではの繊細さを確かに含んでもいた。
自分にとってあまり得意ではないタイプの課題だからこそ、登れた時はうれしかったというのもある。


2位

スーパーラビット/豊田



ハリガネムシとは逆に、どうにも難しさが伝わり辛い課題だと思う。
岩は低いし、スタートも難しい。しかもこの課題のあるエリアにはほかに有名な課題が沢山ある。
なかなかこの課題に打ち込もうという気になる人は多くないかもしれない。
ただこの低い岩の短い課題には、短いなりの難しさが詰まっている。1手1手の強度は他の二段の課題を凌ぐ強さを持っている。
あとこの課題は、初めて豊田に泊りがけで行って複数日かけてやっとこさ落としたという、思い出補正もある。


1位

ゴンザレス/三重の岩場


高い岩を一番低い所から一番高い所までガーっと登っていく、登っていても見ていても面白い課題。
手数も多めだが、その1手1手すべてが難しい。
これだけのスケールの大きさなのに密度も高い。
文句のつけようも無く面白い。
絶対にフロックでは登れない。ただの「二段(の課題登ったことある)クライマー」には間違いなく登れない。この課題を登れたらそれは「二段(の実力のある)クライマー」と言っていいだろうと思う。



三段部門


3位

カツオノエボシ/三重の岩場


高い岩。見た目の威圧感は随一だと思う。
ホールドはどれも握れるが、どれもそれだけではなぜか持てない。
ムーブの選択肢は広いが、やはりどのムーブで行ったとしても難しさはある。
この課題において重要なのは「強さ」だと始めは思っていた。次にやはり「上手さ」が一番重要だと思いなおした。でも一番重要なのは「洞察力」だった。本物でもありフェイクでもあるホールドがいたるところについている。自分にとっての本物のホールドが見つけられないと、ハンパな強さと上手さのクライマーではドツボにはまり続けるだろう。まあ、ハンパじゃない強さのクライマーであれば、どうやったって登れてしまうんだろうけど。


2位

幻の光/小川山


記念すべき、初めての三段。
まだクライミングを始めたばかりのころ、初めてこの岩を見たとき、
「どんなにクライミングが強くなったとしてもこの岩を登れる時は来ないだろう」
と思っていた。
どんなに傾斜がキツくなっても、どんなに1手の強度が強くなっても、そこにホールドがあるのなら、保持力を鍛えさえすればいつかは登れるだろうと思っていたが、この岩には、この課題には
「そもそもホールドがないじゃん・・・」という絶望しかなかった。
この課題を落とせる人っていうのはこの課題を落とすために何か特殊な訓練を積んだ人なんだろうな、とそのときは思っていた。
でも結局はこれが自分の登った初めての三段になった。
実際、保持力が強いだけのクライマーではこの課題は登れないだろうと思う。カチで片手懸垂10回出来てもこの課題は登れないだろうし、でも普通の両手懸垂15回くらいが限界って人でも練習すれば登れるだろう。
この課題を登るのに重要なのは自分を鍛えるということ以上に、岩を『解く』ことだと思う。


1位

ファイア/三重の岩場


文句のつけようも無く、自分の中のベストオブ課題。
約130度の綺麗な面にちりばめられたカチをつないでいく。
ランジはそれだけでは特に難しくは無いが、下から繋げて来ると取りに行くホールドがやけに遠く感じる。
かなり自分にとって相性のいい課題だったと思う。
それにも拘らず今まで登ったどの課題よりも難しく感じた。今まで登ったどの課題より苦しめられた。ということはそれだけこの課題が難しい課題だったということだと思う。
日本の段級グレードをVグレードに換算すると、「三段」は「V10~11」に相当するわけだけど、今まで自分が登ってきた三段はV10で、この課題はV11なんだろうと思った。






まあこんな感じ。

あくまで完全に主観です。

スキキライとか、思い出補正とか入りまくってるので、実際に客観的に見たら異論なんて山ほど出てくるランキングだけども、とにかく僕はこう『思っている』


2016年1月19日火曜日

凍てついた炎

本日、本来僕は四国に行っているはずだった。

徳島に点在する非公開エリアを、

案内してもらいながら巡るつもりだった。

しかし、

前日の降雨と、当日の予報は極寒の気温に、降雪。

これは、

行ってもまずロクに登れないだろう、ということになり、

じゃあ、場所を変更するか、ともなったけれども、

やはりどこも同じような予報。

リスクはどこにでもある。

仕方なく予定はリセットとなった。


残念。





と、



話はこれで終わりではない。


この、予定リセット後、僕はもう一度天気予報をチェックした。

四国のではない。

三重のだ。


そう


ファイア


それが頭の中にあった。


予報によると曇り時々雪。前日にも雨は降っている。

コンディションには期待はできない。
登れるとは思わない。

でも、

ホールドが濡れてたらふけばいいし、

雪が降ってたら、
冷たい風が吹いていたら、それは自分が我慢すればいいだけの話。

ムーブの練習くらいはできるだろう。
何もしないよりは、少なくとも次回に行ったときのための糧は得られる。

という、希望とまではいかないが、ささやかな期待。

高い交通費と長い移動時間を対価に、それっぽっちのものが、
「ひょっとしたら得られるかもしれない」


うん。


充分釣り合っている。


行くことにした。

一人で。



朝、

道中が吹雪だった時には、

「ああ、こりゃ無理かな」

と半ば諦めかけていたけど、

エリアについてみたら、岩のコンディションは思いのほか良かった。

雪は若干パラついていたけど、少なくともホールドは殆ど渇いていると言っていい。



「ひょっとしたらこれは、今日落とすこともできるかもしれないな」


と思い始めた。


ダウンを脱いだ瞬間ガタガタ震えるハメになるし、

ホールドは氷のように冷たくて指はすぐにかじかむ。

そのあたりは確かに問題だ。

でも、

結局はそれは「自分の問題」だ。

前にも言ったことがあるかもしれないが、

環境のコンディションはどうにもできないが、

自分のコンディションはどうにでもできる。


一人で林の中を走り回ったりして(今思うと不審者だなこれ)
身体を冷やさないように工夫したりしてなんとか打ち込み続けた。













結果。










登れてしまった。


正直、登れるとは思わなかった。




この、

ファイアという課題。

これは自分のクライミング歴の中で、

間違いなく最も難しく
間違いなく最も打ち込み
そして
間違いなく最も好きになった課題だ。


三段の課題、っていうのは今までも何本か登ってはきた。

でもこの課題はそれらとは一線を画す難しさであると感じたし、

それもあって、この課題を登れた時の感動は、今までのどの課題を登った時よりも大きかった。

いや、大きい。(今まだ現在進行形で感動してる)


この課題に打ち込んでいる時、僕の中にはある感情があった。

「僕はこの課題を落とさない限り、どこにもいけないし何者にもなれないだろう」


落とせないまま放っておいてしまった課題なんかいくらでもある。

そのままホールドが崩壊してしまってもう二度とできなくなった課題もある。

でも、

そんなものは、ただ「残念」のひとことで片付けられた。

でも、このファイアという課題についてはそういう風にはどうしても思えそうになかった。

この課題を落とす前に、仮に四段の課題を落としたとしよう。

でも僕はきっと納得しなかっただろうと思う。

実際に今の倍くらい強くなったとしよう。

でもこの課題を落としていなければ僕は「強くなった」と言えなかったろうと思う。


なんというか、そう。

この課題は僕のクライミング史の中で一つのターニングポイントとなる課題だと思う。

特別な課題だと思う。

実際は特別も非特別もなく、ただの、ひとつの課題だ。

でも僕にとっては、僕の心にとってはやはり特別であることは間違いない。

多分誰にもこの微妙な感覚は伝わらないと思う。でも僕だけはとりあえずそう思っている。




さあ、

じゃあ次だ。

ファイアを落とすことができた。
四段に挑戦できる実力を身につけたと、実感できた。

そろそろ四段の課題を落とそうか。

2016年1月11日月曜日

最高のモチベーション

人それぞれ、

何が自分にとって強いモチベーションとなり得るか、

それは異なると思う。



僕は今日、

1/5のファイアの敗退が忘れられず、

独りでまた三重まで行って来た。


結果は











またしても敗退。




前回であらかたムーブを出し尽くしたと思っていたが、

まだまだ細かい箇所のツメが甘かった。

改善すべきポイントがいくつもあった。



悔しい。

とても悔しい。

誰も居ない岩場で、一人で何度叫んだか解らない。


それでも不思議なことに、

楽しかった。

とても楽しかった。

そして不思議な充足感がある。


どうやら、僕にとっては

「悔しい」

というのが最高のモチベーションらしい。

今、ものすごくヤル気に満ちている。

僕は今、挑戦の途上にいる。

その状況のなんと心地良いことか。


今回の敗退も、ただの敗退ではなかった。

前述したとおり、まだまだ改善すべきポイントがいくつもあったのだ。

それを発見できた。

1手目の安定感は増してきたし、
2手目を取りに行く際の足の注意点も明確にできた。
3手目を取りに行く前に右手を調整し直すことができることに気付き、安定化した。
何より重要なのは、
確率と気合に頼っていた核心の足送りの箇所の右手の有効なホールディングを発見したことと、
そこでの微妙な加重移動のニュアンスを理論的に成文化して明確に捉えることができるようになったことだ。

この状態から

こう右足を送るのが核心なわけだが、この時点ではまだ無理矢理力で持っていってた。

この写真の時のトライが繋げでは一番進んだが、この右足をスタンスに届かせた時点でスリップ落ち。

後に効率的な動きを把握し、ここだけでバラしてなら多少ヨレてても安定して行けるようになった。

しかしその時にはヨレて下部がこなせなくなっていた。



確実に、前回よりは進んでいる。

次回は行ける気がする。

次回行けなくても、その次、その次の次はもっと良くなる。

行ける気しかしない。

つーか、絶対登る。


次回は1/16に行く予定。

絶対、という気持ちで臨む。

(その前に1/14にも鳳来に行くんだったな。今月は後にも19日22日26日29日と岩に行く予定。改めて並べるとやばいなこのスケジュール)

2016年1月8日金曜日

人外魔境


前回の三重から中一日

本日ははじめての岩場

鳳来

ここは四段以上の課題が充実しつつも、

1級以下の課題がほとんど無い、

言うなれば魔境

弱者お断り。


そんな場所に、

四段以上の実力を持つ人外4人
とともに行って来た。


触った課題を並べると、

イニシエーション(三/四段)
たゆたい(初段)
カリカチュア(四段)
ヴァリタス(五段)


まあ当然、

殆ど登ることはできなかったわけだけど、

思いのほか楽しかった。

どの課題も

「まったくできない」

ってことはない。

何箇所か出来るムーブもある。
錬れば出来そうな箇所もある。
打ち込めば可能かもしれないとも思える。

イニシエーションは特に楽しかった。

今まで体験したことの無い「小指一本」ムーブ

痛い!痛いけど一応やれる!
その後の核心部のギリギリ出来ない感じも良い。

出来ない箇所は出来ないなりに、

出来そうな箇所は出来るように。

課題を「落とす」「落とさない」の二元では分けることのできない面白さを味わえた。


落とした課題は
アップでやったイニシエーション横の無題(4級)と無題(1級/初段)
それから、

たゆたい(初段)



そこそこの強傾斜で中指一本で堪える課題。
こんなムーブ(というかホールディング)もいまだかつてない感じで嬉しい。
難しかった。


本当の意味でここを満喫するためにはもっともっと実力をつけなきゃいけない。


よし、
やはり修行だな。

2016年1月5日火曜日

燃える


「出来ない」というのが嬉しい。

「悔しい」というのが楽しい。


そんな気持ち、

解ってくれる人は解ってくれるとは思う。

解ってくれない人のほうが多いとも思う。



自分の実力で出来うる課題を、

しっかりと

確実に

色々たくさん、落としていく。

そういうのも楽しい。

達成感を多く味わうことができる。

色々な種類のムーブに触れることができる。

岩の上に立つ数だけ経験値も溜まる。


最近はそういう取り組み方もよくやってきた。


でもまあやっぱり、

自分に一番「合っている」のは、

自分の「実力」だけでは出来ない課題を散々打ち込むという取り組み方だと、

やっぱり今日実感した。


三重県某所の

ファイア(三段)


今日、なんだかんだで随分久しぶりに触ったこの課題、

これがまさにそんな、自分の実力だけでは出来ない課題、だった。


ホールディングの位置を数ミリ変えてみる。

スタンスの角度を何度か変えてみる。

デッドのタイミングをずらしてみる。

ほんの微妙な、目には見えないくらいの微調整。

その結果、

ギリギリ出来なかったムーブが、

ギリギリ出来るムーブに変わる。

そんな試行錯誤の過程がたまらなく楽しい。


結局は今日、この課題を落とすことはできなかったけど、

今、自分が「過程」に居るという実感が楽しい。

手ごたえを感じながらの敗退。

悔しくて、嬉しい。



ところで、逆に

今日の「自分の実力で出来うる課題」シリーズとしては


ファイア打つ前にやった


センター試験(二段)






裏口入学(1級)





センター試験は離陸核心ではあるが思ったより簡単に行けた。
今まで落とした二段の中ではほぼ最速、ジャングルビート並みに素早く落とせた。

裏口入学はやるつもりなかったけど面白そうだったのでやってみた。
一撃するつもりだったけど一度スタート左手すっぽ抜けて結果二撃。
おおむね予想通り面白かった。



よし、

修行だ。

修行に対するヤル気が満ちてきた。

絶対にファイアを近いうちに落とす。

2016年1月1日金曜日

謹賀信念

どこまでがルールで、どこからがマナーなのか。

どこまでが個人的なこだわりで、どこからが普遍的に共有されるべき良識なのか。

クライミングというスポーツはそのあたりが非常に曖昧でわかりづらい。

そもそも、クライミングをスポーツと呼ぶか否か。
呼ぶにしてもどこからどこまでをスポーツクライミングと呼ぶべきなのか。
スポーツクライミングの中でも、
どこからどこまでがボルダリングで、
どこまでがフリークライミングで、
どこからがエイドクライミングで、
どこからが登山で……とか。

とかく様々な領域が曖昧であると言える。

自然でのクライミングにはルールブックは無い。
マナーも明文化されていないもののほうが多い。

だからこそそういったものに対して慎重にならなくてはいけない。

それらを破るということについてもそうだし、
それらを守るということについてもだ。

ルール違反、マナー違反は許せない。
しかし自分がマナーだと思っている行為は、
単に自分(と自分の周囲の人達だけ)の個人的こだわりでしかないのかもしれない。
あるいは自分にとって正しいルールと思っていることが、
他人にとってはマナー違反に映っているかもしれない。



いくつかの事例を考えてみた。
(いずれも『屋外でのボルダリング』の場合)


それに対して、自分だったらどう思うか
下記の選択肢から選んでみて欲しい。

①守らなければいけないルールだ
②守るべきマナーだ
③個人のスタイルとしてなら尊重する
④やるならやっても良い
⑤賛同できない行為だ
⑥断固止めるべきだ


事例1
ホールドが尖っていて危ないので他のクライマーが怪我をしてはいけないと思い、ヤスリでフチをなだらかにした。

事例2
グラついていて今にも壊れそうなホールドがあった。
登っている途中に壊れては危険なのでいっそ事前に破壊しておいた。

事例3
ボルダリング中に大怪我をしては自分だけでなく他のクライマー達にも迷惑がかかるので、
クラッシュパッドは充分な量を敷く。

事例4
人工物であるマットは美しくないのでボルダリングの際はマットは敷かない。

事例5
岩を汚すのはいけないのでチョークは使わない。

事例6
難しい課題なので、登るためにロジンがたっぷり入ったチョークを使用する。

事例7
柔らかい動物毛のブラシでは岩についたチョークがしっかり落ちないので、プラスチック製の硬い毛のブラシでしっかり強くブラッシングする。

事例8
雨上がりでホールドが濡れていた。早く乾かすためにガスバーナーで火をあてるのが効果的だ。

事例9
既存課題の直下に切り株があった。危険なので地面を掘り起こして切り株を撤去した。

事例10
課題を登った後は、なるべく自分が岩に付けたチョークはブラッシングして取り除いておく。

事例11
課題上部のホールドをさぐるためにロープや脚立を使用する。

事例12
エリアに行く際、違法駐車や無断駐車はしない。

事例13
スポッターとして、落下したクライマーをしっかり抱きとめて地面に落とさないようにする。

事例14
スポットとマットを最大限信頼してジムと同じように勇気を持ってダイナミックに登るべきだ。

事例15
ホールドが解り易いように蛍光塗料でティックマークをつける。


まあ、こんなところで。


僕個人の意見としては

事例1…⑥
事例2…⑥
事例3…②
事例4…③
事例5…③
事例6…④
事例7…⑤
事例8…⑥
事例9…⑤
事例10…②
事例11…④
事例12…①
事例13…⑥
事例14…⑤(場合によって③)
事例15…⑥

といったところ。

恐らく大半の人が
これとは完全には一致しないはずだ。

⑥と①をつけたものに関しては大半の人も同じように⑥か①を付けてくれていると思うが、
必ずしもそうじゃないかもしれない。

僕はそれなりの期間クライミングをやっているし、
マナーや安全管理については気を配っているつもりだ。

それでも、他のそれぞれの「良識あるクライマー」達と完全に同じ価値観を共有できるとは思っていない。

こういったものは結局のところ、何にどれだけ敬意を払うことができるかということだと思う。

クライミングというものに対して
岩に対して
自然に対して
先人に対して
課題に対して
他人に対して
スタイルに対して
地域に対して
道具に対して
自分に対して
……

岩や自然に最大限敬意を払っているが他人に対して傲慢な人も居る。
人には敬意を払うが、岩を単に登るための物体とだけ考えるような人も居るだろう。

近頃話題になっているチッピング事件についても、
それを行った人はなんの悪気もなかったのかもしれない。
むしろ彼らなりの善意や正義に基づいていたのかもしれない。
彼らには、ただただ岩や課題らに対する敬意が無かった。
そういうことなんじゃないかと思う。

僕はもともとクライミングジムでクライミングを始めた。
岩に初めて行ったときには自然や岩に対する敬意なんてほとんど無かった(恐怖はあったが)。
ただ登る場所がジムから屋外に変わっただけという感覚だった。
しかし、その時僕を岩に連れ出してくれた先輩・師匠達の指導や、彼らの振る舞いから、
岩に対する敬意を学び、それを育み始めることができた。

近頃は手軽にクライミングを始められるジムが増えてきた。
丁寧な解説付きのトポも多く発売されている。
初心者が初心者のまま初心者だけで、ジムから岩に飛び出していく、
ということがたやすく可能な環境になりつつある。
これが良いことなのか悪いことなのか、ハッキリ言うことはできない。

しかし危険である、ということは言える。
僕もそうだったし、岩に行き始めのころに岩に対して敬意を持てと言われてもとてもじゃないが無理だ。
それを持たせてくれるのはやはり指導者の存在。
尊敬すべき指導者に対し敬意を払い、それを通じて、その指導者が敬意を払っている対象にも同じように敬意を払う。多くの場合そのようにして考えは変化していく。
急激なクライミング人口の増加は、
指導者となるべき存在と、学ぶべき初心者の割合の不均衡を生じさせる(あるいはすでに生じさせている)のではないだろうか。

本来、敬意というものについては大きさも形式も誰かに強要することはできない。

命じられたところで簡単に感情は変化しない。

敬意というのはゆるやかに生じるものだと思う。

これから岩に行き始めようと思っているクライマー、
岩に行き始めたクライマー、
クライマーじゃないけどなんとなく岩に行こうという人、

力や技術、グレードを追い求めるのもいいが、

それと同時に、様々なものに対する敬意も育んでいって欲しい。

高難度課題を登ったところで賞金が出るわけでもない。

審判が居て、勝ち負けを判定して、勝者に栄誉が与えられるわけじゃない。

ただ、

その岩を、課題を登れて嬉しい。

それだけ。

名誉みたいなものを求めてるんだったら、いかさまなんてたやすくできる。

「この間一人で岩に行って初段の課題落としてきたぜ」
と言ってしまえばそれを嘘だと判定することなんて他人にはできない。

だからこそみんな正直になる必要がある。

登れたかどうか、を最終的に判断し、記憶するのは自分の心だけだ。

誇りを持って欲しい。誇りが無ければ人間は正直にはなれない。

そしてその誇りは敬意から生じると僕は思う。


「クライマーたるもの、敬意を払え」


長々と書いたけど、言いたいことを要約すると、このひとことになる。



偉そうに語ったけれども、結局のところこれも僕個人の感想であり願望でしかない。
僕のスタイルでしかない。

この考え方にまったく賛同できない人や、不快に思う人も居るかもしれない。

でも少なくとも僕はこの考えを曲げずに持っていきたいと思っている。