2017年7月10日月曜日

特に何も登れてません


カノトのコンディション不安定過ぎでしょ!!!

いや違うな。

ある意味安定してるか。


なにせ、7月に入ってから二度行ったが二度とも完全に濡れていた。

前日が雨だろうと晴れだろうとおかまいなしに濡れ濡れでいやがった。

おかげでキッチンペーパーを1日1巻きずつ使い切るわ

チョークはいつもの3倍以上は消費するわ……

まあそれでも、少しでも練習になるならば行く意味はある。

現状、

コンディションが悪かろうと良かろうとGingaが登れる気配は無い。

完全に長期戦の構えだ。


一日打って、一手進めば大収穫。

新たなムーブが起きなくても、解決済みの箇所が少しでもスムーズになればそれでも良い。

誰がなんと言おうと、100と101は違う。



最近は四段の課題を登ることもできてきていて、

おかげで人から

「四段を登るのに必要なことはなんですか?」

というような質問をされることが増えてきた。

そのたびに僕は

「根気です」

と答えている。

何度も言ってるし、多分このブログ内でも何度か書いたことあるかと思うけど、

二段くらいの課題を実力で登ることができる人ならば、

あきらめずに打ち込み続ければ四段くらいの課題はなんとか登ることができるはずだ。
(もちろん、課題の相性や性質次第でもある)

実際、僕は四段はおろか三段の課題でさえ、
実力だけでねじ伏せたことなんて一度も無い。

ひとつの課題に長時間向き合って、粘って、考えて、打ち込んで、それで結果的に登れたというだけのことだ。


まあしかし、ただやみくもに難しい課題に向かって行き続けることなんて普通はできない。

ただただ失敗を繰り返すだけでもモチベーションが保てるならそれはただのマゾだ。

自分の能力に対してあまりに高すぎる目標にはなかなか人は向かっていけない。

そういう、困難に対しての向き合い方について僕は

デカルトの言葉に従うことにしている。

「困難なことはすべて、扱うことができ、解決が必要な部分へと分割せよ」

なんか難しいこと言ってるなー、と思われるかもしれないけど、

なんとなくピンとくる人も多いと思う。

例えば、

長距離走をしていて、もう疲れ果てているのに残りの距離がまだまだ残っているって時、

遠くのゴールのことを思ったら心が折れるかもしれないけど、

「とりあえずあと1kmこのペースで走ろう」
とか
「あの電柱までは頑張ろう」
とか

そんな風に思えば少しは頑張れて、

そして目標の電柱を過ぎたらまた次の電柱を見つけて……

と、それを繰り返していくうちにゴールが近づいてくる。

こういうふうにして嫌いなマラソンを乗り切った人は多いと思う。

かなり単純に噛み砕いて言えば、これも「困難は分割せよ」に通じるってことだ。


僕は現状「五段を登る」ってのは途方も無く困難な目標に感じていて、

それだけじゃ具体的に何をどうしたらいいかわからないけど、

それを

「Gingaを登りたい」にして、実際打ち込んで、出来ないムーブを探って、

核心のポケットを保持しきる力が足りなくて、そのために指を鍛えて、

同時に岩にも通ってムーブの方向性とかを体で分析して……

と。

分割して分割していった具体的な小さな目標を一つ一つクリアしていけば、

それは1本の電柱を迎えたってことだし、

つまりゴールに向かっている、ってことだ。

そして「向かっている」限りは、足を止めない限りはいつかは必ず到達するはずだ。


まあつまりね、

僕は今全然登れない課題をひたすらやり続けているわけだけど、

ただただ失敗だけを繰り返しながらもモチベーションを保ち続けているマゾではないってことですよ。

失敗だけしてるように見えても実際僕の中では分割された小さな目標の達成をひとつひとつ楽しんでいるんですよってこと。

2 件のコメント:

  1. kemkemガマゾダッテコトガヨクワカリマシタ。

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  2. むしろ最近は知り合ったばかりの人に
    「明らかにSですよね!」
    といわれ始めてきてますよ

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